見返り

仕事って見返りがあって成立するものですよね。見返りを受けるのは嬉しいですが、見返りを返すのは大変苦しいものです。だから往々にして仕事は苦しい、稼ぐためにやっているんだという考え方になるのでしょう。

私も含め、多くの人たちは見返りを期待しすぎていると感じています。何かしてあげれば見返りが無くてはならない。そういう感覚が当たり前となっているのではないでしょうか。最近無料サービスをしているWebでは感じることがあります。情報を無料でやるなら見返りをという形で、ユーザ登録をさせたり、メールマガジンの購読を必須にしたり、アンケートに答えさせたり。無料なんだから見返りを与えてもいいとは思いつつも、少しストレスを感じてしまうのが正直なところです。わがままではあるんですけど。

でも、Googleといい、Web2.0的と言われているサービスは利用者に見返りを求めていないので、そういう意味でのストレスは感じません。収入を広告から得ており、広告をクリックするのも利用者がクリックしたいからクリックするわけで、そこに強制はありません。唯一ストレスを感じるのはそのサービスが使いにくかった場合(笑)。

win-winという言葉をよく見かけます。「タダより高いものは無い」のメタファーは人間はwin-winな関係だということだと思いますが、Web2.0の場合、

「広告⇒サービス⇒利用者⇒広告…(永久ループ)」

という円になるので、2者間でのwin-win関係が生まれません。なので、利害関係がより2者間より複雑になり、どこにも媚を売る必要がなく、強制力も無く、サービスの良さが収入や利用者の反響に出る。そして私達のような収入を期待していないサービス者は、見返りという意味ではユーザの満足しか期待していないことになるわけです。完全に「タダより高いものは無い」は崩れています。

何が言いたいのかというと、コンサートスクウェアをやっていて、この辺をすごく感じるようになりました。広告によってお小遣い程度の収入は得ていますが、そこが目的ではなく、できるだけ多くの方の役に立ちたい、クラシック音楽のネットワークを作っていきたい、という目的でやるようになりました。利用者からの収入は無いわけですから、そこに見返りは無い。では利用者に何を求めるかというと、純粋に喜んでもらえるとか、役に立っているとかそれだけ。あ、これも見返りか(笑)。でも強制はしないです。

そこで私の「Web上のサービスについて」今の結論

・利用者に見返りを求めないサービスである必要がある

もっと言うと

・愛があるサービスでなければならない(恥ずかしい〜)

以上。